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ボストンブラスなどで活躍したチューバ奏者、アンドリュー・ヒッツ氏が主催するプロジェクトが『The Entrepreneural Musician』。日本語にすると、『起業家的音楽家』です。
オーケストラの団員になる、ソリストになる、学校の先生になる….音楽家として食っていく・生きていくうえで、標準的な音楽教育の場で前提になる将来イメージはごく限られています。
しかし、現実にはそのいずれにも分類されない音楽家や、いろいろな仕事を組み合わせて真の自己実現をしている音楽家でちゃんと食べていけている音楽家、さらには経済的にかなり成功している音楽家がたくさんいるのです。
こうして、音楽を中心にして起業をし、あるいは起業家的精神でキャリアを形成している人物たちにインタビューで迫るのが、アンドリュー・ヒッツ氏の同名のポッドキャスト『The Entrepreneurial Musician』なのです。
今回は、なんとチューバとラップミュージックを融合させた女性チューバ奏者でアリゾナ州立大教授のディアンナ・スワボーダさんのキャリアから学びます。アメリカ全土の学校で2年間にわたり休む暇もなく上演されることなった”金管ラップ”のプログラム誕生の背景、そしてチューバだけでなく音楽ビジネスと音楽商品開発の講義も大学で受け持つデアンナさんの勇気と挑戦の精神に溢れた生き方から大いに刺激をもらいましょう。
それでは、どうぞゆっくりお読みください。
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【音楽家の「成功」は未舗装の道をジグザグで行くこと】
Andrew
『ディアンナ、自己紹介をお願いできるかい?』
Deanna
『わたしは、まず第一にチューバ奏者。チューバを片手に、あちこちを旅して生計を立てている。…..そんなことをしていると自己紹介できるなんて、本当に幸運なことだけれど。大好きなことをしていられる、しかもそれによって報酬を得ることができているなんて、本当に信じられないことだわ。あとは、大学でチューバとユーフォニアムの准教授としてアリゾナ州立大学で指導にあたっている。音楽ビジネス、音楽産業に関する授業も受け持っている。そうやって指導活動をしているうちに、教えることをとても楽しんでいる自分に気付かされたわ。』
Andrew
『ディアンナは、世界でも指折りのチューバ奏者なのだけれど、このインタビューでは彼女の演奏についてはほとんど話題にしない。そうやって、主な演奏の職業においてとても高いレベルでやっているのに他にもとてもたくさんの、そして非常に起業精神溢れる取り組みをしているが故に演奏について触れないことになるというのは、彼女が相当なやり手であるということだ!演奏に言及しないのは演奏がイマイチだということではなくて!彼女は、真に「ブルーオーシャン」な領域を開拓してきている。君のキャリアがとても非伝統的な方向に大きな飛躍を見せ始めたのは、初めて君と会った少し前のことだったから、伝統的なチューバの演奏スタイルや指導スタイルを追求することから方向転換した頃のことを話してもらっていいかい?』
Deanna
『わたしは90年代の初めに、実際のところ他にやることもなかったからというのが本当の理由で、アリゾナ州立大学の博士課程に入った。そこであなたの先生でもあるサム・ピラフィアンに出会うという幸運に恵まれた。彼こそ、起業精神を体現したような人物だった。その頃、わたしはワンマンショーのプログラムを作っているところだった。チューバを演奏して生計を立てたい、という自分の願いは分かっていて、その実現の術を模索していた。その時期に、自分が小学生を対象に演奏したり、教育したり、楽しませたりすることを愛しているということを自覚した。それで、全校集会でパフォーマンスするためのプログラムを作った。学校関係者は自分たちの学校で上演したり、楽器店や音楽関係の取次店が自社の宣伝のために興味を持つようなプログラム。サム・ピラフィアンこそが、そのプログラムをビジネスとしてまとめていくことを強く後押ししてくれた。同じ時期に、コロラド州デンバーのデンバー・ブラスで演奏しているキャシー・ブラナガンと知り合えた。彼女が、デンバー・ブラスの教育現場向けの展開のためのスペシャリストとしてわたしに声をかけてくれたの。その仕事をきっかけに、いくつかの経験を得ることができた。ひとつは、芸術関係のNPO団体で働くこと。そうやっていろんなことが忙しくなっていったから、一時博士課程の勉強はちょっとお休みになった。芸術分野のNPO関連の仕事をもっとしっかり追求していくことになった。それのおかげで、ワンマンショーのプログラム作りをさらに進めることができた。NPO組織で働いたことは、ビジネスのスキルをたくさん与えてくれたわ。ビジネスを作り上げるために、自分の考えをどう組織化するか、それをどうマーケティングし、計画を立案し実行をどうオーガナイズするか。キャシーは、それらのことについても素晴らしいメンターとしてわたしを助けてくれたわ。
Andrew
『慈善事業はいま世の中でとても必要とされているし、アイデアを出すだけだったらいっぱい出せると思う。でも、じゃあそれを実現するには、誰がどんな段取りでどういうことをやってどんな人を雇って、という遂行プランが必要になるんだけれど、君はデンバーでその実体験を得ることができたということだね。』
Deanna
『その通り。全校集会向けのワンマンショープログラムをビジネスとして具現化することができたのは、NPO組織で働く経験に刺激されたからこそ。そして、結局はそのプログラムが次の10年の実質フルタイムの仕事になったわ。ダラス・ブラスで演奏することと共にね。あなたもダラス・ブラスでチューバを演奏したわね。あとは、ネバダ州立大学ラスベガス校で非常勤教授もやっていた。音楽家として、わたしたちが「成功」というものを考えるとき、A地点からB地点へと道筋が綺麗にできていて、そこをいかに走り抜けるか、というふうに考えがち。でも現実には、道はジグザグで、あまり人が歩んできていない舗装されていないような道を歩んでたどり着く場所が「成功」であることのほうが多いと思う。どんな「未舗装」の道を歩むかという選択が、あなたのキャリアに影響を与える。たどり着く場所というのは、目の前のタスクに対して辛抱強く、十分な献身で以って取り組み続けた結果。その過程は大抵、綺麗に舗装された道じゃない。少なくともわたしはそうで、かなりの年数、あちこちジグザグしながら進んできた。よく授業でする話なのだけれど、キャリアというのは、自身が選択するいくつもの異なる道の「組み合わせ」で作られているのよ、と。それがわたしたち音楽家、芸術家の在り方なのね。だから、生計を立てるために、いろんなことを同時にやっていたとしても、それは失敗者ではない。やりたいことをやるためなのならね。やがて、形になっていくのだから。』
Andrew
『その通りだ。ぼくの父はIBMに次ぐ当時業界2位いの電子機器関連の会社に勤めていたのだけれど、その会社は何度も買収されて、いくつもの会社名を冠していった。彼の働いていた時代と役職は、とても伝統的なものだった。定年まで働いて、退職時には表彰されパーティーが開かれ、年金を貰って隠居するというようなね。でも今や、そういう業界で働くひとはキャリアを通じて平均7つくらいの別々の会社に雇われることになる。キャリアを通じて7つの異なる仕事をすることになるということだね。ただ伝統的なキャリアパスがあった時代の父でも、ちょうどその会社が狂ったようにリストラと縮小が続いた時期だったらしい。90年代のコンピューター産業だね。でも、いつも不思議に思っていたんだ。父は一度も解雇されなかったから。ときには家に帰ってくると暗い顔をしていることがあった。仕事とプライベートの区別は上手だったひとなのに。それは、仕事場で3人くらいに解雇を通知しなきゃいけないような日だったらしい。30代の有能な、家族のいるような従業員に対して解雇を告げなきゃいけないと。縮小する市場だと、仕事が無くなってしまうんだね。それでもなぜ父は解雇されなかったのか?本人に尋ねたことがあるんだ。すると、父はいつも意識して自分の仕事内容を、二つの観点から修正しながら適応させ続けていたと。一つは、やる気や興味が続くようにした。もう一つは、リストラが必要となったとき、自分が二人分の仕事をしているようにしておくと。もし父を解雇したら二人を雇わないとカバーできない状況にしたと。だから、リストラの候補に挙がってこないようにしたわけだ。….その話と、君のしてくれた話に共通項があるように思った。まず、いろんなことに取り組んでマンネリしないでいるというのが一つ。もう一つは、君は収入源を多様化した。君はいまでは全校集会プログラムをやっていない。というのも、その相場がいまではすっかり下落してしまった。でも、君は他にもいろんなことをやっているから、収入は高いままだ。音楽家にとってもとても大事な話だ。「いろんなことをやる」ということを恥じてはいけないと思うんだ。』
Deanna
『その通り。食いつなぐためのアルバイトも、恥じることじゃない。生活を支えるために必要なのだから。大事なのは、その間も自分が真に情熱があることに目を向け続けること。自分がその情熱があることをやっている様子を想像できるようにしておくこと。起業家精神の真髄は、「機会を見出すこと」にあると思う。多くの人が、自分のキャリアが「幸運」あってこそだと思っているかもしれない、ちょうど良い場所にちょうど良い時期にいたり、見つけてくれるべきひとに見出されるのを待つ、とかね。それもある意味そうかもしれないけれど、それだとちょっと受動的な捉え方だと思うの。実際には、ハードワークと才能、仕事に対する規律と態度、揺るがぬ決心と辛抱、そして目の前に機会があるときにそれに気がつくこと。その組み合わせなんじゃないかな。扉が開いたときに、その扉を通るか。その機会をちゃんと手にするか。機会は必ず次の機会につながるから。それがジグザグで進んでいくということね。それと、あなたのお父さんのように、自己変革も大切ね。わたしも自己変革してきていなかったとしたら、全然いま幸せじゃなかったと思う….相場の下落もあったし。でも、自己変革は無理してやるものではない。丸い穴に四角いネジをねじ込むようなことをやって、自分らしくない自分に無理になっても、それは幸福にはならないわ。成功とは言えない、幸福じゃないし、自分が心から共感している在り方ではないから結局うまくいかなくなる。』
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次回【自分自身の「成功の定義」を具体化する】に続く
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