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これから、毎日ちょっとした日記を付けようかと思っています。まだまだ思索や試行錯誤の途上にある、形にもなっていない物事についての考えを書き留めるために….。
【落ちこぼれた音大生】
ご存知の通り、ぼくはまったくもって落ちこぼれ音大生でした。音大時代は暗黒そのもの、なにひとつうまくいかなかったです。
しかも、5年間行った音大の最初の1年で、挫折と落ちこぼれは決定的なレベルであることが自分にとって明らかでした…。
幸いにも、日本に帰ってきたあと演奏の仕事をすることができましたが、それは自分にとっては意外・想定外そのもので、もう自分は完全にダメだと思っていました。
だから、演奏の仕事もどこか「棚ぼた」みたいな気持ちというか、どこか現実感がないというか、まったくもってダメになった音楽人生のはずなのに「おまけ」でできたような感じがあったというか…。このあたり言語化が難しいです。
しかしこの「おまけ」の感覚は、つい最近まで続いていました。いまでも少しそう。
挫折感、失望感、悲しみ….そういったもののショックから立ち直るのに10年以上要しているのかもしれません。
一回ダメになった人生のはずなのに、思っていよりマシな現実を幸いにも生きることができている。そんなふわふわした解離したような感覚がああるのです。
でも、ようやくその感覚が無くなってきていて、自分が生きたい人生ややりたい活動を、「どう自分で作っていくか?」を考える時間の方が多くなってきました。
いま、何らかの形での演奏活動をしようと、そのビジョンとやり様をあれこれ考え中です。2〜3年くらいで具体化したいと思っています。
こうやって「挫折した音楽人生」のショックが薄れてくるにつれて、実はぼくのような経験や感じ方は、実は多くの現役音大生および元音大生にありふれたものだということに気づき始めました。
しかも、日本だけでなく、アメリカでもヨーロッパでも。
オーストラリアの Susan de Weger というホルン奏者がいます。
彼女も若い頃、音大で挫折しました。
挫折感が強く、国を離れる必要があったとインタビューでおっしゃっているのを聴きました。
なんと、40歳までコンサルティング会社をヨーロッパで経営するくらい、ビジネスの手腕のある方なのですが、音楽への情熱がまた沸いてきて抑えられなくなり、その会社を売却してオーストラリアに帰って音大に入り直したんです。
やがて、パートタイムのプロオーケストラのポジションも得られたし、演奏活動もできた。
いまでは、オーストラリアの音大で、Entrepreneurialship=ビジネス・起業 を教えています。
ビジネスの世界とクラシック音楽の二つの世界を生きた経験を活かして。
彼女も、彼女やぼくのような経験は、すごくよくあるパターンだと言っています。
音大や音楽の世界は、やっぱりとてもコンペテティブです。
そこには、勝利より敗北の数の方が何倍もあるでしょう。
それに打ちのめされたひとがたくさんいる。
でもそこで挫折したり敗北したりしたひとでも、目の前の競争でそのときはうまくいかなくても、ちがう分野や別のタイミングでうまくいくひとはずのひとたちがいっぱいいる。
ぼくは、音大卒業後10年目のいまになってグッと、音楽やホルンへの興味・情熱が「自分らしく」なってきたというか、素直に・でもしっかり気合を込めてホルンのことを考え努力できるようになってきました。
萎えていた気持ちが、回復し強くなってきた。
きっと、日本にはたくさんの「萎えたまま」の元音大生や、能力や経験はあるけれど「傷ついた」ままで引っ込んでしまっているひとがいると思います。
◎そういうひとたちの、回復・再起を手伝う術はないだろうか。
◎そういうひとたちの、音大で学んだからこそ備えているスキルや性質を活かした自己表現や社会貢献を促す術はないだろうか
いつかはわかりませんが、そういう問題意識を何か具体的な形にし、現実に「落ちこぼれ音大生の蘇生」を触発していければいいな、と思っております。
Basil Kritzer
成功者より挫折者の方が圧倒的に多い。さらに挫折者にさえなれなかった人はもっと多い。つまり夢も目的も持つことが出来なかった人達だ。そう考えると挫折ってふつー。別に悩むほどのことでもないかも。
僕の場合、挫折とか成功とか言う以前に、社会参加の段階でつまずいちゃったよ。スタートラインにさえ立つことは無かった。
でも今は、気ままなアウトサイダーとして生きている。コレはコレでいいもんさ。
どんな生き方をしているんだ?もしも興味を持ったら、ツイッターやっているから覗いてみて、グーグルから入れるから。
バラヒ ヒバラ で検索すればトップで出てくる。バラヒとヒバラの間に空白を入れる事、そうしないと珍魚に記事が出てきてしまう。まぁ、気が向いたらでいいけどね。