小さな手でも、ゲシュトップ奏法はできる。

ゲシュトップ奏法が苦手なひと、あるいは以前苦手だったひとは意外と多いかもしれません。ぼく自身、中学や高校のときは、なかなかうまくできませんでした。大学に行ってしばらくしてから、いつの間にかできるようになってはいたのですが….

つい最近、中学生のレッスンで、ゲシュトップを題材にみていくことになりました。
彼女はゲシュトップができないと言っていたので、どうなっているか観察をはじめました。

特に「手の位置」とか手の大きさに問題があるというわけでもなさそうです。

太ベルの楽器に中学生の女の子の手は、「小さいから仕方がない」と思ってしまいそうでしたが、アメリカのオケにも小柄な女性のホルン奏者で活躍しているひとはたくさんいます。だから、「いまの身体的条件で十分に可能」という前提にしてみて、観察を続けました。

ふとアイデアが湧いて、訊ねてみました。

ぼく「手を奥に詰めようとしている?」
生徒「先輩に、手をぎゅっとして奥に突っ込まないと塞げない、と言われました」

これでピンときました。

わたし自身、中学や高校のときは、同じ様に考えて一生懸命にぎゅーっと手を奥に押し込んでいました。そう教えられたからです。

でも、大学に行って、いつのまにかそれはやらなくなっていました。身体の使い方を意識し始めたからでしょう。ゲシュトップに関連した意図はありませんでしたが、そういえば大学の間にいつの間にかできるようになっていました。

そこで、こう考えてみました。

「ぎゅっと奥に詰めようと考えていた頃は、ゲシュトップに苦労した。それを考えなくなっていたときには、いつの間にかできていた。それならば、手はリラックスさせて柔らかく被せてみるだけにしたらどうなるか?」

まず自分で意識的に手を緩め、指と指の隙間があってもいいぐらいに思って実験してみると、驚くほどあっさりラクにゲシュトップの音が鳴りました。

しかも、それまでより「響き」がありました。

どこかで、無意識的かつ習慣的に「詰める」と考えていたのでしょう。

それが腕全体、そして胴体を硬くしていたのだと思います。その余分な筋肉の緊張努力を、「思考」を使ってやめたことで、より自然で体を活かせる吹き方に全体として成ったのだと思います。それが響きが増した理由でしょう。

それを同じ様に生徒さんにも実験してみてもらいました。

「手をらく?に。音の出口があるでしょ?そこにグニャグニャに柔らかい手を気軽に優しく被せてみて」

すぐに、ゲシュトップができました。そのまま音階をやっても、フォルテにしてもピアノにしても、労せずうまくやってくれました。

この話のキーポイントは、

1:なにをやる必要があり、なにをやる必要がないのか、それはいつでも実験して発見できる

2:身体の力みは、何らかの「思考」あるいは「現状に合っていない思い込み」から来ているケースがある。

3:それは、思考を意図的に変えてみる事で、変化する可能性がある。そのための手段が、1である。

こんなところでしょうか。

みなさんも是非試してみて下さい。

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