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数年前に一度要約版を翻訳した、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団ホルン奏者でチューリッヒ芸術大学で教鞭も執っている、ナイジェル・ダウニング(Nigel Downing)氏の著書「Singing on the Wind〜Aspects of Horn Playing~」 の完全版を、翻訳します。尚、これにはダウニング氏と、当該書籍の出版社から許諾を得ています。
この著書に加筆されたものが、Nigel Downing 氏の運営するFacebookページ(こちら)に章ごとに掲載されています。
それでは、お読みください。
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〜はじめに〜
【二人の老紳士】
二人の老紳士が、天国の門にやってきました。彼らを待っていたのは、ちょっと不安げな表情をした門番でした。
門番は、いまの天国の財政削減と経済状況の影響で、二人の老紳士のうち一人しか天国の門を通してあげることができないのだと説明しました。
公平を期するため、門番はそれぞれの老紳士に、自分の方がこの門を通るのにふさわしい理由を述べる機会を与えることにしました。
一人目の老紳士はこう述べました。
「わたしは村の司祭をやっておりました。毎週日曜には、集会に集まる全てのひとのために祈りを捧げました。高潔な人生を送りましたから、天国に入る資格があるように思います」
門番は
「たしかに」
と、もうひとりの紳士の方を向きながら答えます。
「あなたはどうですか?」
もうひとりの紳士はこう述べました。
「わたしはただの街のオーケストラのホルン奏者だったから、司祭様に優るところはないな」
門番は
「それはそれは」
と答えました。
「あれはあなただったのですね。それでは、どうぞ天国へお入りください」
紳士は尋ねました。
「一体、なぜわたしを?」
門番は答えます。
「自明のことです。司祭さんは毎週日曜に集会に集まるひとのために祈りましたが、コンサートのたびに聴衆のみんながあなたのことを祈っていたんですよ、ホルン奏者のあなたのことを!」
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【あなたはどちらタイプ?】
楽器の演奏技術、または演奏のためのなんらかの技術を学んでいるひとたちは、2つのタイプに分類することができます。
本能的にできてしまうひとたち
と
きちんと学んでいく必要のあるひとたち
です。
当然、その間にはグラデーションがありますが、これがこの議論の基本的な出発点となります。
【建設的な分析】
あまり考えなくてもなんでも思い描いているように演奏できるひとたちには、
『そいつを口にくっつけて、息を吹き込めばそれでいいんだ!』
というような簡潔なメソッドがあります。
このひとたちにはそれがうまくいくのかもしれませんが、プロであれ趣味で演奏するひとであれ、その発想だけで音楽人生が全うできるのならはそれは幸運でしょう。
そうもいかない私達にとっては、状況はこんなにシンプルではなく、むしろ建設的な分析を少しすることで大きな恩恵を得られるかもしれません。
【分析は目的のための手段】
“Paralysis through analysis”といって、「分析による麻痺」つまり「考えるとダメになる」みたいな言葉が先の「とにかく吹きこんどきゃいいんだ」派の界隈から聞こえてくるかもしれません。
彼らにとっては、そうなのかもしれない。でも、考えることを放棄することを正当化するためにそれっぽい言葉を使って済ますのには要注意です。
確かに、演奏の邪魔になるほど分析にエネルギーをかけるのは有害です。分析はいつだって目的のための手段であるべきで、分析それ自体が目的になってはならないでしょう。
上達するためには、私達は分析をせねばなりません。しかしながら、どれだけ分析しても私達は自らの目的を思い起こさねばなりません。それは、「こう聞こえてほしい」と思う通りに、楽器を用いて音楽を演奏することです。
【プランA・B・C】
どんなことであれなんらかの問題を解決しようとしているとき、選択肢がひとつだけでなく複数あると便利でしょう。プランAとプランB、さらにはプランCくらいまであるとよいですね。
そこで、ここでもプランA・B・Cを提示します。
そして、この三つの選択肢をそれぞれ説明することを通じて、建設的な分析こそがいかに実は「自然な奏法」につながり得るかを示します。
プランA:「Singing on the Wind」
プランB:音程と筋肉の記憶を関連させる
プランC:一音一音のメンタルイメージを確立する
プランAは、もっとも「自然な」演奏法であると見ることができます。
それに対し、プランBとCは、わたしたちがどのようにホルンを演奏しているかをより良く理解するための手段であると見るべきです。どちらも、プランAで行うという目的のための手段なのです。
続き『息に乗せて歌う』はこちら
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