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プロ奏者を目指す音大生のなかで、とくに、自分がプロとしてのレベルに到達できるのかどうか不安に思っている音大生にとっては、不安感情やプレッシャーに呑まれずに「自分のために手応えとやりがいのある練習」を重ねるためには、
プロ奏者という職業と同等もしくはそれ以上の意味や魅力を感じる、また別の生き方
を視野に入れると非常によいと思います。
『プロ奏者になれなきゃいけない』という気持ちがあまりに高まりすぎると、現状の自分の能力を全否定してしまいやすく、また、現在起きている成長や改善が意識に入ってこなくなってしまいがちだからです。
こうなると、いったいどんな練習が役立っていて、自分の成長につながっているか、その手応えが無くなってしまいますよね….。ここから、混乱・パニックに陥って、自己懲罰的に必死で練習をして、その結果疲れて調子を崩し、いったい何をしたらいいのか分からなくなってしまう…。
そういうループが始まりがちですよね。
わたしはいまでも、高校〜音大時代に自分にかけていた「絶対プロにならなければ楽器をやっている価値なんて無い」という酷いプレッシャーの影響が残っています。楽器をやる理由は、「プロ奏者になるため」ではないことを、自分に思い出させることが必要です。
「プロにならなきゃ意味がない」「プロレベルでない自分は価値がない」
そういう呪縛が強過ぎて、いまだに「プロ演奏活動をしていないのなら自分が練習に取り組む意味が無い」という思考がよぎることがあるのです。
レッスン・教育という仕事につながっているのは明らかなのにも関わらず、です。
どれだけ練習したか、どれだけ頑張っているか、ということは「最終的に自分が客観的な評価においてどれだけのレベルになるか」に直結しないのです。そこに、「プロになれなきゃ意味がない」という思考と、そこから生み出される過剰な頑張りの危険があります。
練習すること。努力すること。気付くこと。上達すること。
それらには素晴らしく深い意味と価値があります。
だからそれと「プロになる」というステータス/勝ち負け的なものを結びつけないでいることが、音大生が自らの能力を最大限に発揮し育てていく「コツ」なのではないかと思ったりします。
プレイヤーとしての能力を伸ばしていくこと、プレイヤーとしてのキャリアの実現を目指して歩みを進めることは、ある意味一流大学を出て一流企業でバリバリやること以上に「ハイレベル」で「難しい」取り組みだと思います。
それをやろうと努力していることが、音大生の多くがぜひ自覚すべきことです。
音大生としてベストを尽くすことは、そういう非常にタフでハイレベルな全人的な修行を積んでいるわけですから、非常に「生きる力」「人間としての力」を伸ばしていることになると思うのです。
だからこそ、その取り組みの結果を、「プロ奏者になれなきゃ意味がない」と思わないで欲しいわけです。
音大生は凄い。
なので、進路に関しては「プロ奏者」「オーケストラ入団」といった「絶対的一点」をなにがなんでも目指そうとして自分を追いつめずに、音楽に関係する様々な領域、教育、芸術、ビジネス、エンターテイメントなど色々意識に置いておくとすごくすごくいいですよ。
伸び伸び学べます。
Basil Kritzer
はじめまして。
私は音大でTubaを専攻していました。
今は教員です。
まさに、おっしゃる通りだと思います!
ただ、音大生の時はなかなかそこに気づかないのですよね。それに気づいていればもうちょっと余裕を持って学生生活を送れたかも知れないですね。
芝本先生
コメントありがとうございます。
仰る通り、ほんとになかなか気づきにくいところです。
わたしも、非常に苦しい思いを通して、ある意味偶発的に?気づきました。
これが遅れていたら、人生がもっとおかしなことになっていたかもしれません…
ですから、そういう分かりにくい気づきにくいことだからこそ、大人が注意深く教えてあげてほしいな、
と願う次第です(^^;)
Basil