【吹奏楽デモクラシーvol.12&13】
音楽教育学者の長谷川諒さんと対談
音楽教育学者の長谷川諒氏にお話を伺う。
長谷川氏に対談を打診したのは、氏のツイッター上での吹奏楽コンクールについての分析・指摘に大いに感銘を受けたからだ。
その指摘内容は、暴力的な指導者や抑圧的で強い同調圧力のある部活を学生時代に経験したことに根ざしていることが多い「コンクール完全否定派」にとっては、自身の苦しい経験とコンクールの存在そのもの間に理性的な線引きができるようになる助けになる可能性がある。
また、コンクールの問題点に関する指摘を一切認めないコンクール完全肯定派にとっても、その問題点に初めて気付く可能性があるようなものであった。
価値ある言論は、そのように、ある事柄に対する白黒の二分を思いとどませる力を持ちながらも、両論併記の玉虫色の中身のない言説ともまったく異なる、「一歩立ち止まり考え直す」ことを促すようなものだ。
長谷川氏の指摘はそのようなものだと思った。
上巻では吹奏楽コンクールの問題点に切り込む前に、音楽教育学、そして公教育における音楽教育の役割について詳しく伺う。ここでも、吹奏楽コンクールの問題点に通じる、そもそもの音楽と文化、そして教育の関係が描き出されているので、ぜひご一読願いたい。
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下巻では、長谷川氏の考え方に沿って、いよいよ吹奏楽コンクールの問題点へと切り込んでゆく。
ここでは、吹奏楽コンクールに否定的な感情を抱く人々にとっては、その感情の起因となる構造が見事に言語化されているように思う。それは、否定的な感情を受け止めるものであるとともに、吹奏楽コンクールそのものへの憎悪へとつながってしまいやすいその感情をより適切に経過させてくれるものでもあると思う。
同時にこれは、吹奏楽コンクールに否定的な感情を持つ人々を内心見下したり、理解できずに否定している人々にとっては、吹奏楽コンクールがどのようにして人々を苦しめたり傷つけたりしていたかを判明させてくれるものだ。それを知ることで、否定的な感情を持つ人々への拒否感もずいぶん和らぐのでわないか。理解できるかもしれないのだから。
問題点の的確な指摘は、対立を対話や相互理解へと導きうるものだということを強く印象付けられた。
ぜひ一緒に考えていこうではないか。
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