練習が報われるのに必要な技術的条件

わたくしバジル・クリッツァー自身が、ホルンを始めた当初から長年苦労している「アンブシュア問題」。

これに関する思索とつぶやきです。

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練習が報われるのに必要な技術的条件
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二週間ほど前に、ホルンを始めた中学生から、暗黒の音大時代、そしてアンブシュアタイプ研究を取り入れているいまに至るまでの自分のアンブシュアストーリーがよく理解できるようになった。

いまでこそ分かるが、中学生から高校生にかけてちゃんと自分のアンブシュアタイプに沿って吹いていたんだと思う。でも、姿勢・呼吸・響きの理解に問題があった。

それが『微笑みのアンブシュア』問題として表れてもいた。

音大に入ってすぐ、師匠から自分の弱点や欠点を指摘された。師匠からは特に呼吸と音の響きという面では多くを学んだ。

間近で見ながら、聴かされながら、めちゃくちゃ的確な音に関するフィードバックを受けながら。

しかし、低音域の苦手問題に関しては、師匠を一生懸命に観察し、分析し、模倣するやり方で成長しようとした結果、

ぼくは自分とは異なるアンブシュアタイプの持ち主である師匠のアンブシュアの機能のさせ方と、自分本来のアンブシュア機能のさせ方を混在させることになる。

その混在は、潜在的にぼくのアンブシュアを不安定でひ弱にさせていたことを、ほんの最近理解した。

それまではずっと謎の違和感や自信の無さを感じ続けるのみであった。

だが本来、ぼくの元々の低音域苦手問題は、ぼくの吹き方のせいというよりは、ぼく本来のアンブシュアタイプにおいて予見されるものであり、実は長い期間のトレーニングよりそのアンブシュアタイプに則ったままで克服可能なのである。

当時、そうとはぼくも師匠も知らず、解決を焦り、真似してはいけない部分を真似してしまったのだ。

実際、即座に改善したのだから気付かない。高音域を犠牲にするのを当然視していたのだが。

先に述べた通り、呼吸や音の響きなど、真似してとても良かったことや非常に財産になりいまの自分を成り立たせていることは多々あるので師匠のことは敬愛している。大好きだ。

しかし、まさかアンブシュアには機能の仕方として法則性とタイプがあり、ちがうタイプの真似は良くないことなどは知る由もなかった。

世界中でもこの仕組みを理解している奏者や指導者は非常に限られるのだから、仕方ない。

わたし自身、ついつい無意識的に自分のアンブシュアタイプに沿った練習法を利用した指導や練習の提案をしてしまう。

このことはこの数ヶ月ではじめて気付いた。

わたしたちは、自分のアンブシュアタイプから作られる吹き方の感覚しか知ることができない。

だから、発想や着想が必ず自分の経験と感覚に根ざすのだ。

自分の経験と感覚の枠外でも的確にアドバイスするには、理性に基づき観察し、分析するしかない。そして場面にマッチした知識を用いるしかない。

感覚ではなく、ほんとにデータと思考を用いることになる。

理性的にしっかり観察して分析すること。これはアレクサンダーテクニークの教師養成コースでの学びで身につけた。

アレクサンダーテクニーク教師資格を持つ楽器や歌の指導者がとっても効果的なレッスンができる一番の理由はこれだと思う。

呼吸や姿勢、構えなどに関するテクニックや演奏に結びついた実践的知識もアレクサンダーテクニークの先生たちから学んだことや教師養成コースで学んだ超初歩的な解剖学がとても役立っている。

しかしながらアンブシュアタイプとそのタイプ別の機能の仕方という法則性については、この一年くらいではじめてその研究の存在を知り、知識を得ることができた。

この知識は、理性的な観察と合わせることによって自分にとっても生徒さんへのレッスンにおいても飛躍的に役立っている。

アンブシュアタイプの混在からくる不安定さは、ぼくにとっては演奏技術の手応えのなさというか、練習と本番の連続性・一貫性を全く無くさせてしまうという形で、長年影を落とした。

丁寧に本番に向け準備しても、手応えや積み上がり、前進の感覚が無く、拠って立つ場所がなく、本番は一か八かという感じだった。

いつもいつも。

メンタル的な側面の勉強や工夫、やアレクサンダーテクニークなどでそれでもなんとかしてきた。

ハンデ故の工夫の積み重ねはいまとなっては自分にもレッスンにも大いに役立ってはいる。

でも、気付かなかった、あるいは理解も対応のしようもなかったアンブシュアの潜在的問題が変わらずあることを補うことは不可能だったんだなと、解決の道筋を歩んでるいまはよく分かる。

おそらく姿勢、呼吸、アンブシュアという3つに関してはもしかしたら、どれかひとつでも問題があると、他でカバーすることはできない物事なのかもしれない。

それぞれの機能的な技術が必要なのだろう。

オーケストラの首席で活躍している高校の先輩が大曲の準備をしている様子を数日聞く機会が数年前に有った。

その様子はまさに、丁寧・まっとう・地道・常識的なやり方だった。

そうだよね、練習って、準備って、難しいことじゃない、こうやってやるんだよね、と腑に落ちホッとした。

でも、自分はそうやって練習をしても積み上がっていくものがなかった。アンブシュアタイプの混在が原因だ。

いまついに自分のアンブシュア問題の推移も、原因も、解決方法も理解したことで、

実に高校生以来の『練習と準備が素直に積み上がっていく感覚』を体験している。

アレクサンダーテクニークの助けのおかげで、積み上がりがなく手応えもグラグラでも幸い上達はずっと続けられた。

でもそれは深いプロセス過ぎて、不思議ですらあり、なかなか自信と安定感には結びつかない。

やはりこの経験もハンデを克服するうえでの工夫、試行錯誤、自己観察として非常にいまの自分とレッスンに活きているのだが、正直大変過ぎた。

ついについに、普通のひとが普通にやってる『積み上げ』が自分にも戻ってきたかも!そうだとすると嬉しい。

ただ、この『普通』とはたぶん、多数派ではない。

多くのひとが何らかの、直接的には主に姿勢、呼吸、アンブシュアいずれかの技術的理由で努力と手応えがつながらずに非常に苦労している。

自分は『普通』ではなかったので、幸運な『普通』組からすると妙に精神的、回りくどい、甘っちょろい、理想論を述べてるように思われ誤解されることも多かっただろう。

『普通』組の経験と感覚には無いところを扱っているからね。

練習が手応えを伴い、成果が積み上がり、努力すれば良くなる、という『普通』にはそれを可能にする条件があるのだと思う。
とても身体的・技術的な条件だ。

そのひとつ、アンブシュアについては日本のあるプロオーケストラのある奏者と、実践的でどんな指導現場でも使えるガイドを作成すべく構想を一緒に練っている。

実現や出版まではまだまだ時間を要する。各アンブシュアタイプ別の、機能の仕方に基づき設計された有効な練習法や、合わない練習法などを見いだしてまとめるにはお互い、まだまだレッスンでの経験の蓄積が必要だ。

しかしながら、ぜひ期待と応援を、よろしくお願い致します。

Basil Kritzer

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練習が報われるのに必要な技術的条件」への2件のフィードバック

  1. マキノでのトロンボーン合宿では本当にお世話になりました!
    自分のアンブシュアタイプがわかり、自分に適した練習方法がわかると安心感と自信が生まれ、それが安定感やさらなる成長につながる。ということをこの2ヶ月弱で体感しました。

    お時間はかかるでしょうが、アンブシュアタイプとそれに合った合理的な練習に関するご出版を心待ちにしております♫

    • 高木さん

      合宿ではこちらこそ、お世話になりました。

      この2ヶ月での体験をこうしてお知らせ頂けて、わたしも勉強になり、また励みになります。
      ありがとうございます。

      出版やその他広い共有の形の模索、これからも根気よく続けたいと思います。
      応援よろしくお願い致します。

      Basil

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