【頑張りは上達を保証しない】

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〜考えるということ〜

先日ある音大で講義をしていて、こんな話をしました。

音大の教授やオーケストラのポジションを獲得するまで上り詰めるひと
=レッスンする立場になることが多い人
=音大生が接する・ならうことが多い人。

この人たちのなかの、

・難しく考えず、それほど苦労せず、ただただ音楽的に芸術的にものを考え自然に演奏できるひと
・あまり考えず、ただひたすらたくさん練習して、それでどんどん上達できた運動神経の良い幸運なひと

の割合は、音大生のなかのそういうひとたちの割合よりぐっと高いのではないだろうか、と。

つまり、あなた方の多くは、それに該当しないひとたちだろうし、
該当しないということをもうだいたい分かっていることでしょう、と。

では、どう上達していけばいいのか?

それは

・観察し
・分析し
・実験する

ことによるのです。

なにかうまくできなくて悩んでいることがあるとします。

一歩目は 「いま、自分はどうやって演奏しているだろう?」という問いです。
そこから観察が始まります。

自分なりに観察し気づいたことを踏まえて、

二歩目は「それはどういう理由でそうなっているのだろう?あるいは、どうすればいいのだろう? 」という問い。

自分なりに考えて、仮設を立て、新たにやってみることを決めます。

三歩目が「決めたことを実際にやってみると、どうなるだろう?」という実験です。

その実験結果を観察し、分析して次の実験へと進みます。
その繰り返しの中で、いろいろな手応え、変化、ヒント、改善を掴んでいくのです。

そういうプロセスで上達していっているひとは、物事を意識化し言語化しているので、
ひとを教えるのも上手になります。

そうやって、分析的・実験的にふだん取り組んでいますか?

とその場にいた音大生たちに尋ねてみると、みんな首を横に振りました。

どうしているかというと、「とにかくひたすら頑張って練習する」。それが多数派的な練習のやり方でした。

そして、彼ら彼女らの多くが、自分の先生に言われたことがよく分からなかったり、うまくできなかったり、逆効果だったりして、どうすればいいか分からずモヤモヤと悩み苦しんでいるのです。

わたし自身は、このプロセスをアレクサンダーテクニークのレッスンで学んでいきました。

アレクサンダーテクニークの根幹を成す考え方なのです。

しかし、これはアレクサンダーテクニーク特有のものではなく、普遍的なものです。
体の動きについてそういうプロセスを応用しているのが特徴的だというだけです。

ですから、多くの先生方、プレイヤーも実はこうして自らを成長させていっています。そういう先生を見つける・自分から習いにいく、先生を自分のために使いこなすという発想を持つ音大生は、それにより大きなアドバンテージになることでしょう。

Basil Kritzer

*写真と本文は関係ありません*

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