教える、というアーティスティックな行為

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ある方とメッセージでやり取りしていた内容。会話のコンテクストの中でのものなので、少し抽象的ですし、会話のコンテクストは記していませんので分かりにくいかもしれません。があくまで「レッスンする」ということについて考えることに興味関心がある方に役立てば、と考えここに掲載します。







…言われてみて考えたのは、楽器の演奏に関するレッスン能力は、楽器演奏の技術の習得と同じように、創意工夫・試行錯誤・観察→分析→実験 という作業を非常にたくさん要するものなのだろうな、ということです。

素晴らしいプレイヤーでも、レッスンがイマイチなことがある理由として、「レッスンすること=相手の演奏の上達をサポートする・貢献する」という行為について、演奏と同様に情熱を傾け長期に亘り継続的に試行錯誤し意識的に磨いてきているわけではないからなのだろう、と思いました。

教える・レッスンするとなると、どうしても「正解」や「ハウツー」があると思ってそれを探したり、自分がその正解を知っていると思って一方的に押し付けたりしがちなのかな、と思いました。レッスンするという行為を、アーティスティックでスキルフルな行為として興味を持ち発展させていくものという捉え方が稀なのかもしれません。

仮に正解やハウツーがあっても、それがどういうコンテクストで当てはまり成り立つかというこを理解したり見定めたりすることには、これまた創造的に頭を使うものだと思います。






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