ホルンの低音域の理想的な奏法を考える

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この記事では、いずれも素晴らしいホルン奏者たちの動画をテキストとして、
低音域の奏法と練習法について考察してみようと思います。





【アンブシュアモーション】

この考察の軸になるのは、

『アンブシュアモーション』

です。

アンブシュアモーションとは、金管楽器奏者が音を上げたり下げたりするときに観察することができる、
「アンブシュアとマウスピースの一体的運動」です。


音を上げたり下げたりするとき、金管楽器奏者はアンブシュアの筋肉を用いています。
それと同時に、歯や歯茎、顔の骨といった硬い構造物との関係でマウスピースを移動させています。

マウスピースの移動は、アンブシュアの運動に対応してアンブシュアとマウスピースの接触関係を維持するために行っている、
のがその存在理由の少なくともひとつでは考えられています。

✳︎アンブシュアモーションについて詳しくはこちら✳︎



【アンブシュアモーションの方向】

このアンブシュアモーションには、二つのタイプがあることが科学的な研究により確認されています。

それは、

タイプ1:
音を上げるときに、アンブシュアとマウスピースを上方向に押し上げ、
音を下げるときに、下方向に引っ張り下げるひと

タイプ2:
音を上げるときに、アンブシュアとマウスピースを下方向に引っ張り下げ、
音を下げるときに、上方向に押し上げるひと

というものです。


このアンブシュアモーションのタイプは、奏者の解剖学的条件によって決まっていると、
この研究を行っている研究者たちは考えています。

また、なんらかの理由でひとりの人に二つともの動きが見られるケースでも、
どちらかがそのひとに適したアンブシュアモーションであると考えられています。



【アンブシュアモーションの一貫性】

したがって、

タイプ1のひとは:
音を上げるときにはアンブシュアとマウスピースを上方向に押し上げ続け、
音を下げるときはアンブシュアとマウスピースを下方向に引っ張り下げ続けること


タイプ2のひとは:
音を上げるときにはアンブシュアとマウスピースを下方向に引っ張り下げ、
音を下げるときはアンブシュアとマウスピースを上方向に押し上げ続けること


が、奏法の長期に亘る健康さと発展のうえでは望ましいです。


ただし、これは技術的・メカニクス的な観点から見た「理想的」な奏法であって、
奏者の発展段階やそのときのレパートリーの要請上、この理想的な奏法ではまだ対応できないこともよくあります。

なので、

・自分にとって適したアンブシュアモーションは何かを把握し、
・ウォーミングアップや基礎練習のルーティンなどをそれに則ってやるようにし、
・仕事や本番で演奏する曲やフレーズの練習もなるべくそれに沿うようにしつつ、
・もし逆モーションを使わなければならないとすれば、いま自分はそうしていると知っておくこと

がとても有益です。



【低音域】

金管楽器奏者にとってアンブシュアモーションの一貫性が乱れ、逆方向の動きを特にしてしまいやすいのが、低音域です。

これは、音を下げるためにアパチュアを広げる際、

・アンブシュアを緩めることでコントロールされない広げ方をしてしまいやすい

・顎を落とすことで、アンブシュアの筋肉によるコントロール以外の助けを借りて対応したくなりやすい

・このようにコントロールが曖昧になっていても、唇やベロ、スライド、手などの助けを借りて音程を修正してしまいやすい

・そういった、理想的でない対応をしていても、なんとなく鳴らすことができて問題が起きていることに気付きにくい

といったことがその背景にあるのではないかと、わたしや研究者たちは考えています。


ちなみに、理想的なアパチュアの広げ方は、唇の両端がしっかり固定されつつ、顎も落とすことなく、
マウスピースの中で唇をめくりだすことでアパチュアを広げることである
と、研究者たちは考えています。

アンブシュアモーションを軸とした金管楽器奏者のアンブシュアを研究しているひとの代表的なひとりであるダグラス・エリオットさんは、このような「めくり出し」だけで低音域を演奏できるようになっていくことを「技術的観点から目指すべき理想」と位置づけています。

一方で、それだけではまだできないときや状況などが現実にはあるのは確かだとし、
仕事で低音を吹かねばならないときなどは、とりあえずできることはなんでもやるしかない、と言っています。


参考記事:
息は増やすのではなく、減らす〜低音域での安定性の培い方について〜
ペダルトーンの練習の仕方について
下唇の割合が多く息が上向きの奏者の、低音域の練習法



【順モーションと逆モーションを切り替え奏者】

ここから、素晴らしいホルン奏者3名の動画をサンプルに、
低音域の奏法・練習方法を考えていきたいと思います。

いずれも、タイプ1の奏者です。


〜デニース・タイロン〜

まず、フィラデルフィア管弦楽団ホルン奏者のデニース・タイロンさん。
素晴らしい下吹きです。



音を上がるときにアンブシュアとマウスピースが上方向へ、
音を下がるときにアンブシュアとマウスピースが下方向へ

と動いているのが分かりやすいです。

…ところが、次の動画だと、LowBbから顎を落とし、マウスピースの位置が上がるのが分かります。アンブシュアモーションが逆転しているのが分かりますね。
それが起こるのは、2:08あたりです。



一方、こちらの動画ではまず Db で同じことをやっているのが分かります。
1:25か1:26のあたりにその瞬間があります。



しかし、そのあと 1:39あたりまでにかけてLowAまで下がっていくときは、アンブシュアモーションは下方向へ一貫しています。

これで分かることは、タイロンさんがアンブシュアモーション逆転ポイントを「変動」させることができる、ということです。


〜フランク・ロイド〜

次に、我が師匠・世界的ソリストのフランク・ロイド先生です。



まず冒頭のフレーズ。そこそこの高音域からかなりの低音域まで、タイプ1の順モーション(音を下がるときは、マウスピースとアンブシュアを引っ張り下げる)で吹いています。

…が、その直後にものすごく低い音を吹くときに、マウスピースが押し上げられます。
逆モーションが現れるのです。



別の箇所でも、低音への跳躍で逆モーションが使われています。



かと思うと、またさらに別の箇所での低音への跳躍は順モーションを使っています。



順モーションでも逆モーションでも、ロイド先生は吹けるし、使い分けていますね。


…二人とも素晴らしい奏者で、素晴らしい低音域です。

しかし、その奏法にはアンブシュアモーションという観点からは、解剖学的条件から生まれる最適な奏法と考えられるものとは異なる奏法が含まれているのが分かります。

タイロンさんの場合はいくつかインタビューでおっしゃっていたこと、ロイド先生に関しては5年間師事しているなかで何度も聞いたことをふまえると、両名ともに、順モーション/逆モーションを切り替え使い分ける低音奏法を意識的に練習し洗練させています。

アンブシュアモーションに関する知識はおそらくお二人とも無いですから、その観点からの「意識的」ではないのですが、
「アンブシュアの変わり目のあたりを自由自在にコントロールする練習」という言い方や、「それが個人的に重要である」といったことを
インタビューやレッスンのなかで述べておられます。

明らかに、モーションの切り替えを奏法として洗練・発達させておられるのです。

また、タイロンさんもロイドさんも、低音を大きく鳴らすときに逆モーションを使っている傾向があります。



【順モーションで一貫させている奏者】

では、ホルンの世界では誰しも低音域でアンブシュアモーションを逆転させているのか?

いえ、それを全く行わない、これまた素晴らしい奏者がいます。

ご存知、ベルリンフィルのサラ・ウィリスさんです。



この動画を見ると、音を上げるときにはアンブシュアとマウスピースを上へ、音を下げるときには下へ動かしているのが、
はっきりと分かります。


次に、同じ動画の別の箇所なのですが、さらに低い音域に進むときに、
先述の2名とはちがって、一貫して下方向にアンブシュアとマウスピースが下がっていくのもはっきり見ることができます。



別のこの動画でもそれが分かります。





大変興味深いことに、いずれも素晴らしい奏者、素晴らしい低音域の演奏をする世界的なプレイヤーのなかでも、

・理想的に一貫したアンブシュアモーションを用いているケース

・アンブシュアモーションの逆転をコントロールして用いているケース

とがあることが確認されました。



【バジルの場合】

わたし個人の場合も記述しておきます。(奏者として、この3名の足元にも及びませんが)

わたしは、大学に入ってからおよそ12年ほどコントロールしてアンブシュアモーションを切り替える奏法を用いていました。
ただし、アンブシュアモーションのことはその間知りませんでした。

そして、2年ほど前にアンブシュアモーションのことを知り、自分のタイプを把握してからは、
アンブシュアモーションを切り替えてコントロールする練習はやめました。

この変化により起きたことは

・高音域がそれまでより随分安定した
・それまでよりバテても吹けるようになった

のです。


一方で、一貫したアンブシュアモーションで低音域を吹くのには、改めて訓練を必要としました。

はじめは、LowCくらいが関の山で、そこから逆モーションに切り替わっていました。
順モーションではDくらいから音が小さくなってしまいました。

しかしそれも仕方がないことです、12年も逆モーションで低音域をやっていたのですから。

それから2年で、ペダルEくらいまで順モーションで音が出せるようになりつつあります。
LowAくらいまではけっこう大きい音も鳴らせるようになりました。

また、ペダルFからハイFまでがコントロールして上下できるようになってきました。
途中でアンブシュアの断絶を必要とせず、です。


逆モーションは、まだ使えます。
その能力はほとんど落ちていません。

だからこそ、音質や自由度にいまは不満足でも、順モーションで徐々に低音域を開拓しています。
高音域とのつながりを常に確認・確保しながら。



【アンブシュアを「変える」ということの意味】

金管楽器の世界では、よく「アンブシュアを変える、変えない」という言葉が出てきます。

それは当てる位置を変えて新たなアンブシュアを身につけ直す、というコンテクストのときと、
ひとりの奏者が音域によって「アンブシュアを動かす、変える」というコンテクストのときがあります。

後者のコンテクストにおける「アンブシュアを変える」とは一体どういうことなのか、ということが、上記の分析からも見えてきます。


まず、3名ともに共通していたのは、低音域のどこかの音からは、「顎を落とすことでアパチュアを広げる」ということを行っていました。

この「顎を落とすこと」を多くの金管楽器奏者は「アンブシュアを変えること」と表現したり、感じたりしています。

サラ・ウィリスさん自身も、インタビューのひとつで「音域の変わり目の難しさ」について言及しているのを聞いたことがあります。彼女の場合は、それは「顎を落とす奏法を使いはじめるとき」がそれなのだと、こういう観点から客観的に分析した場合は言えると思います。


先述の通り、これは技術的・メカニクス的な観点からは、理想的な方法ではありません。

しかし、特にホルンのような小さいマウスピースを用いつつもかなり低い音域を使うことがレパートリーのなかで一般的である場合、そうでもしないと対応できないのが現実的な状況なのだと思います。

ですので、いかなる奏者であっても、個人の技術の理想的な伸長を継続させようとするならば、「なるべく顎を落とさず、代わりに唇の両端を固定しながらマウスピースのなかで唇をめくりだす」ことで音を下げる、という方向性で練習をするのが有益でしょう。

一方でこれは、「顎を落としてはいけない」「顎を落とすのはまちがっている」ということではなく、

・現実的にはそれが必要になってくると分かっておくこと
・でもそれは理想的ではないと理解すること
・自分がいま理想的ではない奏法も使って対応していると自覚していること
・本番はあまりアレコレ考えずに音楽に集中すること

が重要かつ有益であるということです。


次に、この素晴らしい奏者の3名ともが、顎を落とすという理想的ではない操作を非常に上手く使っているということは共通している一方で、顎を落とすときに2名はアンブシュアモーションを逆転させた一方で、サラ・ウィリスさんはアンブシュアモーションが一貫し続けていることが分かります。

タイロンさんも、ロイド先生も先述の通り「音域によるアンブシュアの変わり目」の存在に言及しており、そこがうまくいくようにウォーミングアップをしっかりすることを二人とも大切にしているという趣旨のことを話しています。

タイロンさんとロイド先生にとっての「変わり目」とは、「顎を落とす奏法を使いはじめるとき」であると同時に、「アンブシュアモーションを逆転させるとき」であると考えることができると思います。


このように、「アンブシュアを変える」と形容されることには、少なくとも2種類の異なるメカニクスについて、その区別が意識的には認識されずに言及されていることがあると考えられます。

奏者として、あるいは指導者として「アンブシュアを変える」ことのメカニクスを識別できると、それを使うにしても修正するにしても、的確な取り組みがしやすくなるのでこの理解は役立つことだろうと思います。


ちなみに余談ですが、「ダブルアンブシュア」と形容される状況の多くは、「アンブシュアモーションの逆転」を指していたり、それが原因になっていたりするもののように私は思います。

ですので、自分のアンブシュアモーションに沿って音域を広げていく継続的な取り組みが、徐々にダブルアンブシュアを用いなくても吹けるようになってくる状況を作っていってくれる可能性はかなり高いと思います。



【浮かび上がる「問い」】

今回の比較と分析を通じて浮かび上がるのは、大変興味深い「問い」です。


問い1:
アンブシュアモーションの一貫性は、最低音域においても長期に亘るトレーニングによって獲得し得るのか?


問い2:
各個人の解剖学的・生理学的な条件から、一貫したアンブシュアモーションで鳴らすことができる低音域には限界があるのか?



わたしは、どちらも「Yes」といまは考えています。

そして、どちらん対しても「Yes」だとすると、次の問いが浮上してきます。


問い3:
一貫したアンブシュアモーションで鳴らすことのできる最低音域の限界を越えた低音域を練習すべきか?



です。


わたしは、これに対しては、「NO」と考えます。

え?それだと、演奏できないレパートリーがでてくるじゃないか?

と思いますよね。

そうなんです。

わたしは次のように考えます。


『一貫したアンブシュアモーションで演奏できる音域を常に拡大するよう取り組みつつ、その範囲を超える音域が頻繁に登場するポジションや、曲を演奏することを減らしていってはどうだろう?』

と。


これはとりもなおさず

『自身にとって理想的な技術的メカニクスに則りながらそれを用いてできることを増やしていこう。そして、自身の理想的な技術的メカニクスに則って演奏することができるポジションやレパートリーを演奏しよう』

ということでもあります。

これはチャレンジをしないとか、苦手を克服しないということではなく、

《各人の解剖学的・生理学的特徴からもたらされる最良の技術的メカニクスに則って各人の演奏技能を最大化し、個性を最大限に伸長する》

ということです。


現状、これは理想論です。仕事で演奏活動をしているひとにとっては、引き受けた仕事はどんな手を使ってでもやり遂げる必要がありますから。

しかし、理想論というのは空想や妄想ではなく、『これから向かっていく方向』を指し示すガイドラインです。

もし、アンブシュアモーションのメカニクスとそれに則った練習法やレッスン法が、
音大レベルでの教育、さらには吹奏楽部での導入段階から反映されていったとしたら。

そして、オーケストラやその他の演奏セッティングのパート割りが、各人の備えた理想的な演奏メカニクスの特性を反映したものになっていくとしたら。

そのときに、各人のポテンシャルはより発揮かつ伸長され、ハンデによるブレーキのかかった状態ではない、
「全員が全速力」で走ることのできる真の競争が実現され、
「目の前の譜面をとりあえずこなす」ことを続けていくよりはるかに高く、かつ各人の個性が発揮され楽しく 充実したレベルの高さが現出するのではないか。

そんなビジョンがわたしにはありありと浮かんできます。


アンブシュアモーションの存在とパターンは、とても明確に確認されています。

そこから分かってくることがたくさんあります。

この知見が、20年、30年後には世界の金管楽器教育において当たり前になっていたら…と想像すると、とてもワクワクします!


Basil Kritzer

参考記事:
金管楽器の3つの基本アンブシュアタイプ
金管楽器を演奏するひとのための、アンブシュアに関するヒント
素晴らしい奏者たちのアンブシュアタイプ分析



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