歯の構造と金管楽器のアンブシュア

この記事は、アメリカのトロンボーン奏者 David Wilken氏のウェブサイトより、記事『Tooth Structure and Brass Embouchure』記を翻訳したものです。


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歯の構造と金管楽器のアンブシュア
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博士論文の執筆のため調査のなかで、わたしは多くの奏者を対象に幾つか解剖学的構造を調べたが、その中のひとつが歯の構造であった。

特に、奏者ひとりひとりの上の歯と下の歯がどれぐらい真っ直ぐか、そして奏者ごとにどの歯が欠けているかや、どの歯と歯の間に隙間があるかを記録した。

それに基づき、これらの特定の特徴が奏者ごとのアンブシュアタイプを正確に予測する指標たりえるかを調べた。(アンブシュアタイプについて詳細はこちら

その結果、そういった歯の真っ直ぐさ、欠損、隙間といった特徴は、少なくともわたしが調べた奏者たちの範囲ではアンブシュアタイプを指し示す指標とはならなかった。



【逸話と都市伝説】

論文のための資料を読み直していた時、いくつか歯の構造と金管アンブシュアに関する参考文献を見つけた。

Maurice Prter が1967年に出版した「アンブシュア」(原題:The Embouchoure)においては、奏者の「アンブシュア潜在能力」が部分的には歯科学的構造によって決まっているという仮説が提唱されているが、この書において彼はその方法論の具体的な仕組みと詳細についての記述が乏しい。

Lacey Powell は1982年に、「The Instrumentalist」誌上における彼の論文「アンブシュアは語る」(原題:The Embouchoure Speaks)において、金管楽器奏者は「均等で、長い、良好な4本の歯」を持っているべきだと述べている。

他にも、奏者の歯がどのようにアンブシュアに影響しているかを言及している資料はたくさんあるが、その大半は、出っ歯や歯の尖っているところが唇に刺さってしまわないように、唇の心地よいところにマウスピースを置くとよいということを述べているだけだ。

また、階段から転んで歯が欠けた結果、音域が1オクターブや2オクターブ拡がった、という逸話や都市伝説がごまんとある。この類の話のバリエーションとしては、歯の隙間を埋めたら音域が狭まってしまった、という逸話もある。

わたしは個人的に、「前歯が邪魔にならないように」と言って、歯を短くするために差し歯にしたトランペット奏者すら知っている。

こういった逸話については、少々の真実は混ざっていることを信頼おける筋から聞ききはしたが、実際のところはそれらの話にでてくるような歯科学的構造を持ちながらもうまくいっていない奏者がたくさんいるのであり、誰にでも当てはまる話ではないのである。



【理想的な歯の構造は存在するか?】

最近、Matty Shiner というトロンボーン奏者で、金管楽器奏者にとって「理想的」な歯の構造というものが存在すると推測している金管楽器指導者について少し知るところなった。

Shiner(以下、シャイナー)は、まだ自身の調査を学術誌や医学ジャーナルにおいて発表していないようだが、インターネット内のTromboneForumと、彼が行ったインタビューでわたしは少し知ることができた。


シャイナーはこう述べている:

「上手な奏者たちは、誰もこのような(と言いながら内側に指先を向けてジェスチャーで説明する)歯や、側面がこのように出っ張っている歯の持ち主はいないようだ。

歯は、バイオリンにおけるブリッジみたいなものだ。正しく機能にするには、特定の湾曲と高さがある。バイオリン奏者が自分の楽器に新しいブリッジを付けるために工房に持っていくと、そこでは数千分の1インチ単位まで計測が行われる。それぐらい精密にピッタリでないといけないのだ。

それに加え、弦ごとにペグもある。

ではもしここで、ブリッジを少し削って短くしたとしよう。これは金管楽器で言えば、噛み合わせがピッタリのひとたちだ。

対してもしブリッジを4分の1インチでも高くすると、それは上の歯が下の歯より前にあるような噛み合わせのひとたちに相当する。上下の歯の間に大きな開きがあって、プレスが全部上唇に集中してしまう。」



わたし(Wilken)は、生徒に伝えたい演奏の感覚があって、時にはアンブシュアが「弦」/ 息が「弓」、という比喩を用いて説明するのを好む場合もあるが、唇が本当に弦になぞらえることができるとは考えておらず、シャイナーの述べていることに同意できるか分からない。

また、彼は果たして実際になんらかの調査を行ったのか、行ったとして正しく照査基準や対照群を用いて行ったのだろうか。

わたし自身も、博士論文を書くためのアンブシュアタイプに関する研究を行った際、研究対象の奏者たちのアンブシュアタイプを会う前から正確に予測していたつもりでいたが、会って調べると違っていたという経験から、誰しも確証バイアスの罠に簡単にはまってしまうことをよく知っている。

また、シャイナーが、前歯がV字状に内向きになっているのは理想的ではないと感じた理由として、そのような形の歯をした金管楽器奏者が少ないということがあるが、そもそも金管楽器奏者に限らず全体としてそのような形の個人はいったいどれぐらいいるのだろうか?

もしかしたら、元々そういう形のひとが少ないのであって、金管楽器奏者の中にも少ないのはただそれだけの理由である可能性はないだろうか?特に現代では歯科矯正が普及しているので、なおさらだ。



【「理想的」ではなくてもちゃんとプロになっている】

博士論文の執筆の資料とするために、研究に協力してくれた奏者たちの歯の写真をたくさん撮った。

それらの写真を見直すと、歯の形にはたくさんの多様性があったが、シャイナーが述べるような前歯が内向きになっている特徴を持っているひとは一人だけであった。

このひとはプロのトロンボーン奏者で、安定して出せる最高音が実音でハイEb、安定して出せる最低音がチューニングBbの2オクターブ下のBbの下のAbであるとのこと。

彼自身も、低音域が強みであると述べており、高音域・柔軟性・音量の大小・音質・耐久力としった他の特徴は、彼のような経験値のプロの中では平均的である言っている。

彼がペダルBbからハイFまでを演奏している写真を実際に撮ったし、彼の演奏可能音域はプロの演奏現場で必要と考えられている音域をちゃんとカバーしている。



【あまり鵜呑みにせずに…】

こういった単一の事例を以ってシャイナーの仮説が誤りだとすることはできないが、わたしはこの仮説には懐疑的である。

いろいろ調べまわっていると、理想の顎の位置や歯の形を見つけてあげますよ、と宣伝している歯科医や矯正歯科医を何人かみつけたが、誰もその理想が何であるかを示す調査や研究を公開していない。

さらに、学術文献の中にも、厳正に調査されたものは見当たらなかった。

したがって、金管楽器演奏のための理想の歯の形や構造といったことに関する様々な意見に関しては、あまり真に受けることはせず、
助けになるかもしれないし・ならないかもしれないうえにとても値段が高い歯科的治療を探しまわるよりは、
あなたの生来持っている構造にしたがって楽器演奏学ぶべく取り組んだ方が、長期的にはよいとわたしは思う。




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