問うべきは中身

プロ演奏家以外は教えるべきでないという考え方もありますが、わたしはまったく同意しません。

現実的に、学校の先輩や先生、地域の大人、あるいは家族から教わる場面が多々ある。

奏法論も指導法も、さまざまな「おしえるひと」「おそわるひと」それぞれの習熟度に合わせて、本でもネットでも講座や対面でもたくさん提示され共有されることで指導も演奏も向上し裾野が広がる。

共有されることでこそ、淘汰や洗練あるいは統合や発明発見につながる。

情報の多様化を嘆いたり嫌がったりするのは、コミュニケーションに怠慢な証だと思う次第だ。

極端な例だが、自分では全然楽器を演奏できないけど、他のひとの演奏の向上を素晴らしく助けられる、そんな存在がいっぱいある状況の方が「プロ演奏家以外指導するな」っていう世の中よりはるかに良いと思う。

学者でないと数学をひとに教えてはいけない、なんてバカげているのは誰にでもわかる。

問うべきは、個々の指導や奏法論の中身であり、「だれがやるべきか、やらないべきか」とか「どこ・どんなメディアで言っていいか、悪いか」ではない。

Basil Kritzer

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