自己肯定とは正真正銘の努力である

「自己肯定」という言葉から、想起するイメージや連想することはひとによってかなり異なっているようです。そして、それなりに多くのひとにとってこの言葉は

(全然良くないのに)自己(が自分を、自分は素晴らしい完璧だと無理やり無根拠に)肯定(する)

ということのように感じられるのですね。しかしわたしが自己肯定という言葉を使ったり、自己肯定の重要性を伝えるとき、その「自己肯定」は

(達成したい目標に向かって取り組むなかで、ちょっとでも前進したらそのことを)自己(が「いま前進した」と正確に評価し、前進したという事実をありのままに)肯定(する)

ことを意味しています。なぜ、これが重要なのか?

それは、不用意な自己否定が、あなたの前進や成長を阻む危険なものだからです。わたしがここで言う自己否定とは

「目標値を100としたら、それに達しないことはすべて無価値、無意味、不完全でダメなものとする考え方・感じ方・評価の仕方」

です。

100に到達するためには、1から2へ、10から20へと、前進する他ありません。しかし、自己否定は実質的に 1の前進・達成も、90の前進・達成も、「不完全・未到達である」という理由だけで十把一絡げに「ダメ」だと断じてしまうのです。

これをしていると、わたしたちはパニックになります。100に到達するためには、1の前進も90の前進もどちらも重要です。どちらも、100に向かっているという点で尊く確かなものなのです。それを少ないから、まだ不完全だからという理由でしっかり味わい抜いて学びきることなく不当に評価したり切り捨ててしまっていると、努力の方向性が分からなくなってしまいます。報われず、疲弊してしまいます。

それは自らが引き起こしてしまっている、自分が原因になっている停滞なのです。ですから、自己肯定とは実は自己責任を全うすることであり、自助努力なのです。言葉のイメージだけで自己肯定の重要性や必要性、力をバカにしてしまうひとや見当違いな警戒感を持ってしまうひともいますが、自己肯定とは正真正銘、努力なのです。

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自己肯定とは正真正銘の努力である」への9件のフィードバック

  1. バジル先生、こんにちは。以前アンブシュアのことでコメントさせていただいた、サクソフォーンのみかんです。

    あれからバジル先生のブログを何度も読み、楽器を吹くときの呼吸法から自分は間違っていたんだ!と気づき、呼吸の仕方を直したら自然とアンブシュアもクセがなく無理のない形になりました!音も見違えるように良くなって…何ヶ月か前の自分とは別人のようです(笑)。バジル先生ならびにこちらのブログには本当に感謝しておりますm(__)m

    ところで、実は最近は別のことで悩んでおりまして…長時間サックスを吹いていると、左手首が痛むんです。
    サクソフォーンは(もちろんオーボエもクラリネットもですが…)サムフックは右手側にあり、本来左手にはそこまで重心はかからないはずだと思うんですが、最近練習している曲が左手のサイドキーを多用する曲だからか、1時間も吹いていると痛みます(>_<)
    こういうとき、どんなイメージを持って吹いたらいいんでしょうか…?
    すごくわかりづらい質問で申し訳ありません汗 よろしくお願いしますm(__)m

    • みかんさん

      サクソフォンのパーツ名のは疎いので、的はずれな答えになるかもしれませんが、やれるだけやってみます。
      (ちなみに、サクソフォン奏者のアレクサンダー・テクニークの先生がいます。渡邊愛子さんです。ぜひ彼女のレッスン受けに行ってくださいね)

      サイドキーを操作するとき、主に手首から手を動かしていますか?あるいはそういう意識や感覚はありますか?

      手のひらの面を変えるとき、それは実は肘の回転で行われます。

      1:肘を軽く胴体に添えて、手のひらを上に向けます。
      2:くるっと下に向けます。
      3:またくるっと上に向けます。
      4:それを何度か繰り返します。

      この、「くるっ」「くるっ」という動きは手や手首ではなく、肘の中で起きているのが分かりますか?

      この動きを多くのひとが手や手首でやっている「つもり」になっています。

      サイドキーを操作することって、手の面を変える動き=「肘の回転」で全部あるいは一定部分がまかなえますかね?

      ちょっと試してみてください。

      • 肘の回転、を意識して同じ曲を吹いてみました。
        たしかに、今まで手首ばかりに意識がいってたかもしれないです…!
        今までは吹いている間手がこわばっているような感覚だったのですが、それがほとんどなくなりました。
        この意識を定着させていきたいと思います!ありがとうございましたm(__)m!!

  2. 度々申し訳ありません、左手首、というよりは正確に言うと左手の親指の付け根あたりが痛みます…(>_<)
    よろしくお願いしますm(__)m

  3. はじめまして。
    長年、緊張に苦戦し、ハードな本番前には決まってバジルさんのページを拝見しています。
    今夜もド緊張の練習でした。

    自己肯定は正真正銘の努力である。この言葉が私の背中を後押ししてくれる、そんな嬉しい気持ちです。

    私は緊張やプレッシャーがかかると
    唇が震え、とても惨めな気持ちになります。しかし震えよりも、「こんな自分はダメだ。また震えて実力を出せない。やっぱり全然ダメだ。」
    と自分を全否定する思考が私を追い込んでいたんだ、と最近わかってきました。

    今日の練習曲は、冒頭にpから始まる私のドsoloがあり、まさにブルブル曲です。

    しかし。しっかりと準備したのだから、イメージ通りに、気持ちに素直に演奏しよう。震えたっていいじゃないか、と思い臨みました。

    実際、震えました。
    震えたことに落ち込み、ダメだししたい自分がいます。
    でも、私は準備し、ある力を出した。逃げずに演奏した。震えても大丈夫と思えた。

    一生懸命に自己肯定している最中です(^ ^) これは努力なんですね。

    ゼロ100の人間にとって、
    いけていない所を否定して、
    自分を責める方がラクかもしれません。安心するのかもしれません。

    でもそれでは辛くって
    前に進めなくなっちゃいますね。

    少しの前進を認める。喜ぶ。
    他人がなんと言おうと
    自分の進歩はまず自分で認めてあげよう。

    そして次回は今日の課題を少しでも克服できるように練習しよう、と思っています。

    長々とすいません。
    なんだかホッとして嬉しくて書き込みました。

    もし何だか行き詰まって、演奏が辛い、上手くいかないと思ってる人がいたら…
    自分に「がんばってるナ。前に進んでるよ。」言ってあげませんか?

    • しろくま5匹さん

      お返事遅くなりましたが、まずは真摯なメッセージを頂いたことに心より感謝を申し上げます。

      お書きくださったことには、いちいち深く首肯しました。
      ほんとうに、その通りです。

      なかでも、素敵だなと思ったのは

      「私は準備し、ある力を出した。逃げずに演奏した。震えても大丈夫と思えた。」

      これです。

      ほんとうにほんとうに、その通り。
      そしてとてもとても大事なことです。

      Basil

      P.S. コメントを、ブログで紹介してもよろしいでしょうか?

      • バジルさん、こんばんは。返信いただいて嬉しいです。ありがとうございます。
        お役に立つのなら、どうぞご掲載ください。

        先日の書き込みよりも今日の練習はカチカチでした。「恐れ」「自分ダメ」からくる緊張と思います。

        早いパッセージsoloはコケて落ちてしまい、指揮者からagain!の声。

        もう一度やってもきっとコケる…。もっと震えるし、変な空気がら流れるわ…と私の苦手なパターンになりました。演奏する前から決めつけて絶望している感じです。

        タクトがおりる直前、私は大丈夫。失敗してもいい。いつもどおり等身大で、私の音楽を表現しよう。
        そう思いました。

        すると、次第にパニック状態から意識がスーッと自分に戻ったような、集中している自分を感じました。はじめての感覚です。

        私はずっと前からいつも、上手に吹こう、失敗しないように、力を注いでいたんですね。

        今の私に良く効く言葉は
        失敗してもいい、
        そのままの自分で大丈夫、
        表現しよう、
        のようです。

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