『罪悪感は仕事をスケールダウンさせる』仕事論 vol.3

【うちに入社しないか?】

私がマーケティングとかビジネスに関心を持つようになったのは、現在所属しているアレクサンダーテクニークの会社「BodyChance」に入社したことがきっかけです。

ドイツの音大を卒業し、日本に戻って BodyChanceのアレクサンダーテクニーク教師養成コースで学んでいたころ、BodyChanceから「来年度、うちのスタッフにならないか?」とお話を頂きました。

BodyChanceは海外各国から優れたアレクサンダーテクニーク教師を招聘していますし、また社長で校長のジェレミー・チャンスさんがオーストラリア人であったため、入学当初から通訳を手伝ったりしていたことから、当時専属の従業員を必要としていた大阪スタジオで働くことを打診されたのです。

【え?マーケティングってなんですか?】

通訳や翻訳がメインの仕事で、アレクサンダーテクニークに関係することに携わりながらお給料をもらえるならぜひ!と思って入社を快諾しました。

が、いざ仕事が始まると社長から「おまえの仕事は、大阪スタジオのマーケティングだ」と言われました。

マーケティング、という言葉の意味もぼんやりとしか知らない頃でしたが、とりあえず「集客」が仕事なんだと理解して、まあできることをやってみようかという感じで社員生活が始まりました。

当時、わたしはまだアレクサンダーテクニークの先生になるための勉強中で、自分がレッスンをしていたわけではありません。

なので、大阪スタジオにひとがもっと来るようにすることが最大かつほぼ唯一の責任でした(スタジオの事務仕事も一部あり)。

【商売なんか苦手….】

しかしその責任を果たそうにも、マーケティングなんてちっとも考えたこともありませんでしたから、「社長、どうしたらひとが集まるか教えてください」が1年目の決まり文句でした(笑)

わたしの両親はアカデミックな大学教員で、研究者気質が優勢なものでしたから、「ビジネス」や「商売」というものに関心を持つことは人生を通してそれまで一度もなく、むしろ偏見や苦手意識を抱いていました。

それがマーケティングの仕事を、まあやってみようと思えたのは、自分でも少し不思議です。

そんなの無理!
やり方わかんねえ!
苦手っすよ!

そんな想いも頭を巡りましたが、ドイツの学生時代に「アレクサンダーテクニーク教師として生計を立てよう」と決心していたので、どんな仕事であれアレクサンダーテクニークのレッスンを提供する会社で働けることはまたとない重要な第一歩に感じたのだと思います。

【ど素人な集客】

こうして、いかに大阪スタジオにひとを連れてくることができか、という問いを自分自身に投げかけ続ける1年間が始まりました。

ごく小さな会社ですから、広告費なんてほとんど使えません。

アレクサンダーテクニークというものを説明し興味を持ってもらうのも至難の業です。

こういう新しくて分かりにくいものは、チラシ配りもなかなか明確な効果がありません。

どうしたらいいんだろう?

ジェレミー社長としょっちゅう相談したり、あるいはいろいろ教わったりしながら、よちよち歩きの「集客活動」を体験していきました。

とにかくいまの自分や会社のの状況のなかでできることをやっていく、というものでした。

【意外に面白かったマーケティングの世界】

集客や商売に対して苦手意識や偏見さえ持っていたわたしにとって、ジェレミー社長がその数年前から意識的にマーケティングとビジネスの勉強を、かなりの私財を投じてしてくれていたのは大変幸運なことでした。

仕事上のやりとりの中で、たくさん、その勉強の「おこぼれ」をもらうことができたのです。

そうしているうちに、彼が勉強している中身に興味が湧くようになってきました。それで、欧米のマーケティング講師の教材をもらうようになりました。

どちらかというと、アカデミックでリベラルなインテリ的アメリカ人の両親の家庭に育ったわたしにとって、アメリカのマーケティング教材・学習プログラムを作り提供しているマーケティングのプロたちの雰囲気は、パッと見とても「嫌な」感じがしました。

しかし、それを我慢してCDを聞いたり、テキストを読んだり、テキストビデオを鑑賞していると、彼らの話が実に面白かったのです。

もっと難しくって、数学的で会計っぽい話やややこしいパソコン用語の話が出てくるかと思っていたのですが、全然そんなことはない。

そこには、

・自分の望むような人生を実現しようという情熱

・そのために収入を得ることに取り組む決意

・収入を得るプロセスと自分の興味や関心、ライフスタイルを完全に調和させようというこだわり

・行動を促す勇気づけと励まし

・具体的なアイデアを次から次へと思いつかせてくれる、良い意味で抽象度の高い、でも非常にわかりやすいコンセプト

が溢れていました。

こういった教材に触れていると、なんだか自分にもできそうな気がしてきたし、とにかくやってみようという勇気を刺激してくれたのです。

【無から有を生み出す】

先日、ビジネスマン向けの雑誌を初めて買ってみました。

それを読んでいて気付いたのですが、ビジネスの世界では、お金を有限と考えていないのです。

大企業やベンチャー企業の社長さんのインタビューを読んでいると、このひとたちは「新しいビジネスを生み出すこと」を常に考えているのが分かります。

また、それは私利私欲ではなく、新しいビジネスは、今ままでなかったお金を生み出し、それが雇用を生み、税収をアップさせ、人々と社会を幸せにすると考えているのです。

この発想に気づき、そして馴染むのにわたしはとても時間がかかりました。

いまでも、彼らはそう考えていて、だからうまくいっているんだということは理解できるのですが、自分自身がそういう感覚になっているかといえば、まだまだ全然そうなれていません。

では、代わりにどんな考え方や発想をわたしや、ビジネスまたは集客に抵抗感や苦手意識を持っているひとたちはしているのか?

『お金や豊かさは有限であり、これから縮小していくものである』

という捉え方なのだと思います。

だから、わたしたちはいつも不安なのです。

・自分の分け前がなくなってしまうのではないか?
・いまは大丈夫でも、将来は貧してしまうのではないか?
・どう頑張っても、必要なお金や豊かさは得られないのではないか?

というふうに。

【自分が幸せで、豊かになることへの罪悪感】

この不安は、より重大な問題と密接に関係しています。

それは、わたしたちの多くが、

『お金を受け取り、豊かになり、幸せになることに罪悪感を持っている』

ということです。

これは、お金や豊かさが有限であると考えることの原因なのか結果なのか並列するものなのかわかりませんが、

『自分が豊かで幸せになることは、決まった量しかないものを自分が過分に奪い取っていて、その分誰かが不幸せになっている』

という感じかたを心の奥底に持っていたりしませんか?

また、音楽を演奏したり、音楽に関わったり、あるいは自分の好きなことをしながら食べていけていること。

それに罪悪感を持っていることも、とくにわたしたち芸術を愛する者たちには多いのかもしれません。

『音楽でこんなに楽しい思いをしているのに、それに対しお金(豊かさ)を頂くのはあってはならないことなんじゃないか…』

という感じかたです。

そこには、

・苦しむことが良いことだ
・楽しむことは悪いことだ
・仕事は苦しく辛いものでなければならない

という考え方は見え隠れします。これもまた、もしかしたら心の奥底にある『自分は幸せになってはいけない』という感じかたが原因なのかもしれません。

【あなたの罪悪感が、世界を不幸にする】

こういう感じかたは、ごくごく個人的で内面的なことです。それについてわたし(他者)が評価や判断を下すことは一切できません。

しかし、音楽家や芸術家の使命というものから見ると、実は大いに問題であり、よろしくないことかもしれません。

というのも、仕事論vol.1で述べたように、いまの世の中の仕組みにおいては、音楽が仕事になるということが、すなわち音楽が世界の隅々に届いてゆくということなのです。

音楽家の使命は、音楽をすることにあります。音楽は人を癒し、社会を平和にし、世界を豊かにするものです。

とても善いものであり、必要不可欠なものであり(音楽よりカジノが世界にとって必要だと思っているわけのわからない政治家もいますが)、音楽が減れば減るほど世界は病む一方であるのに対し、増えれば増えるほど素敵な場所になっていく。そんな特別なものです。

音楽家が音楽を生み出すことの重要性をお分かりいただけますか?

なのにもし、その当の音楽家が経済的理由や経済的状況原因の健康上の理由で音楽活動に支障をきたしていたり、あるいは諦めるようなことが起きているのならば、それはその分だけ世界が悪くなっていることを意味しています。

いまの世の中では、よりたくさんの音楽家が働けるということはすなわちよりたくさんの音楽がこの世界で奏でられており、その分だけ世界はよくなっていくそういう仕組みになっているのです。

ですから、当の音楽家自身がゆがんだ罪悪感からお金を受け取ること(=仕事になる)ができずにいるならば、それは音楽家が自らの責任で世界を少しだけ悪くしていることを意味しているのです。

あなたが罪悪感に囚われていること自体が、もしかしたら一番「よくないこと」であるかもしれないことがわかっていただけますでしょうか?

【音楽家自身の力で、世界にもっと音楽を】

音楽家自身が音楽とお金がむすびつく流れを作っていくこと。

それが現代における音楽のあるべきあり方なのではないか、とわたしは思う部分があります。

音楽家自身が、お金や豊かさと不幸な関係を持ってしまっていては、元も子もありません。

人間関係の改善と同じで、お金や豊かさとの関係も、自分自身を深く向き合い、できることから少しづつ、着実にやっていくことが肝要です。

困難に対してはときにはめげることもあるでしょう。

しかし、自らの罪悪感のいいなりになってはいけないのです!

バックナンバー

仕事論 vol.1 『音楽の世界にもっとお金のエネルギーが流れてきますように』
仕事論 vol.2『音楽によって価値を提供する』

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