絶望を避けようとする悪循環

きょう練習していて、見えてきたことがあります。練習は、「奏でたい音楽を実現すべくチャレンジする」作業だと思うのですが、いつの間にかそれが「ダメなところを潰す」作業にすり替わっていってしまうことが多いですよね。ミスや失敗するたびに反射的に「やり直す」、あの為にならない練習。

「奏でたい音楽を実現すべくチャレンジする」作業、としての練習は、一回一回のチャレンジで「どこがダメだったか」に着目するのでなく、「どこが前回と変わったか」「どこが良くなってきたか」の手応えを感じて、「前進」する作業です。

そういう練習って、すごく楽しいし、やったらやった分だけ充実感があります(心身の体力の範囲内であれば)。なのにわたしたちの多くは、練習をしていても前進している感じがしないし、「チャレンジ」する気持ちにすらなれないでいることが多い。ひたすら「マイナスをゼロ」にするだけのような気持ち。

いつの間に、どうして、「やりたい音楽に向かっていく」という前進と成長の作業が、「自分自身に希望を失い、イヤになって、自信を無くす」プロセスにすり替わっていっちゃうのだろう?

どうやら、「やりたい音楽をやってみる」というチャレンジの作業中に、自分もしくは他人から、チャレンジの最中の結果にいちいちダメ出しと批判をしているうちに気持ちが折れてきてしまうような面があるのではないかと思えます。

それで段々と結果が怖くなり、チャレンジできなくなってくる。そして、ダメ出しと批判があまりに苛烈にで、「自分にはやりたい音楽なんて一生できない」とか、「音楽を奏でる資格/レベルが自分にはない」なんていう気持ちになってきてしまう。

これって、ほんと傷付くし、悲しいし、しんどいですよね。そうすると、練習中ずっと、「自分はほんとうは決定的にダメなんだ、望みがないんだ」ということを感じることを避けることが音を奏でる主眼になってきてしまうのかもしれない。

だから、ちょっと音が外れたり、力みを感じたりしようものなら、「絶望」を感じなくてすむように、すぐにやり直したり吹き直したりしてしまう。そういった練習のやり方が良くないと分かってはいるのに関わらず、ついついやってしまうのは、「絶望」を避けたいからなのかもしれません。

でもそもそも「絶望」しているのは、苛烈で、不当で、場違いで、非建設的なダメだしと批判が自分から自分に、もしくは他人から自分に投げかけられているからなんですよね。

だから、この悪循環から抜け出すには、計画的な対応が必要になると思います。

それは

:「やりたい音楽(フレーズ/音)をとにかく演奏してみる」ことが練習であるとする

:即座の結果が良くなくても、やり直さない。訂正しない。批判を一切しない。そして次々とチャレンジする。

このAとBを組み合わせて練習に臨み、1〜2週間はそのやり方で粘ってみることが大切に思います。そうすれば、失敗や間違いはほうっておいて、次のやりたい音楽にチャレンジすることを繰り返している方が上達できることが実感できるからです。何より、この方がよっぽど楽しいですよね。

まとめると、

「自己肯定的なチャレンジ姿勢」を用い続けること
「自己否定的な緊張・萎縮」を予防することを継続すること

これを同時併用することが、自信喪失、あがり症、上達がなかなかできないという苦しみへの、建設的で的を射たやり方である可能性が高いんじゃないかと思います。

頭が動いて
自分全体がついてきて
音楽で自分を満たして
どんな結果になろうとも音楽で自分を満たし続けて
とにかくどんどん音を奏でていく

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