高校生管楽器プレイヤーの指導法

シリーズ「自己否定を見直す」の流れで、今回は管楽器の演奏に取り組む高校生をどう指導するかを考察していきます。

ここで考えていくのは

「その高校生が、プロになろうがアマチュア奏者として今後長い時間演奏に関わっていくくことになろうが、長い演奏生活を通じて幸福に過ごしそして奏者としての演奏能力と表現力を最大限に高めるために、いまどのような教えと助けを得られれば理想的か」

ということです。

【大人として尊重しよう

高校生と中学生のいちばん大きなちがいは、中学生の半分はまだ子供であるのに対し、高校生はほとんどみんな 大人である ということです。

未成年であり、社会人にもなっておらず、経験は少ないですが、その思考力や感受性の部分ではもう立派な大人と変わりません。

したがって高校生を教えるときには、アマチュアの大人の生徒を教えるのと同じくらいの経緯と丁寧さを持って教えるべきではないか、とわたしは思います。

高校生は仕事やお金を持っておらず、ほとんどの場合、経済的にはまだ親に依存しています。

しかし、心の部分では独り立ちする素地は出来上がっています。

頭と心は大人なのに、身体は成長途上で、経済的な力や社会的な経験はほとんどないー。

このギャップが、高校生の苦しみの大きな原因になっています。

高校生の多くは、大人と大人社会を怖れています。

もうすぐ自分がそこに属する事になる予感や自覚は持っていますが、やっていける自信がありません。

自分の現状と、大人にできていることがあまりにかけ離れて見えるのです。

あがり症の発症も、中学生にくらべて高校生になると激増します(ちなみに、大学生になるとさら増えます)。

指導者自身が耐性を獲得したようなプレッシャーに対し、高校生は大人としての思考力を駆使したあげく、多くの場合間違った解を導き出してしまいます。

大人社会の建前を本気にして

・あがり症は練習不足が原因である。したがってもっともっと練習しなければいいけない。

・本番で失敗するのは気のゆるみが原因である。したがってもっと死ぬ気でやらなければいけない。

・この本番で失敗してはならない。したがって、絶対失敗しないように気を付けよう。

といったことを額面通りに考え、実行してしまいやすいのです。

中学生だとまだ、面倒なことや辛い事はうまく避けたりサボったりする「子供のしたたかさ」が機能しています。大人になると、物事はそう単純ではなく、練習したくてもできないときがある現実を理解しますので、単純な「もっと頑張る方式」の採用を保留することを経験を通して学んでいます。

高校生の感じているプレッシャーや怖れは、経済的もしくは社会的責任を全うすることがどうやら自分にもできるらしいことが分かってきている大人を上回ってすらいるかもしれません。プレッシャーには大人と同じようにさらされていながらも、状況的にその対処を実行する立場にないからです。

多くの高校生が、両親に大してとても引け目を感じながら過ごしています。

【寄り添うこと】

指導者にできる素敵なことのひとつは、そのギャップからくる苦しみや不安に寄り添ってあげることです

高校生になると、ただ単に褒めたりけなしたりしても、無条件に大人の評価を信用しません。もちろん褒められたら嬉しいのでどんどん褒めるとよいでしょうし、けなされたらすごく傷付きますから、指導者として(それ以前に人として)高校生の演奏の結果や取り組みをけなすことはあってはならないことです。

しかし、彼らは自分自身の評価システムをすでに持っています。その評価システムによる評価が、指導者から受けた評価より良かろうが辛かろうが、自らが自らに下している評価の方が彼らの中ではウェイトが大きいのです。

これは良いことです。ひとに左右されない強さ、自主性、自律性をすでに備えていること意味するからです。

問題は、高校生はまだ一人前の大人として生きる自信が無いために、それを達成できている大人の評価を心の表面の部分では受け入れようとしてしまうところにあります。

しかし結局は自分の評価システムで判断していますから、ことあるごとに自分の中に葛藤と矛盾が生じ、激しい緊張が起きます。

そこで指導者としては、 高校生が自分の考え方や取り組み方に自信を持てるようなサポートをすること が大切です。

具体的にできることは次の通りです。

・うまくいったことは、「うまくいった」とはっきりしたフィードバックをあげる

→ 高校生は、その結果を生み出した「やり方」に自信を持ち、迷い無く選択するようになります。もちろん、上達が加速します。

・行き詰まっているとき、そのときその高校生がやろうとしているやり方の「良い部分」を認めつつ、なぜ行き詰まるかを客観的に知らせてあげる

→ 自分で考えてやっているやり方だけに、中学生よりある意味「頑固」になっています。考え方を変えるというのは、混乱し物事が悪化する危険を備えていることを理解しているからです。その高校生に対して、「良い部分がある」という「保険」を渡してあげつつ、彼/彼女のやり方の結果起きていることをうまく描写してあげれば、よりうまくいくやり方を考え出し実行する力は、高校生はもう備えている。

・彼らの不安や苦しみに共感してあげて、寄り添ってあげる

→ 高校生の多くは、根拠の怪しい「慣習」や、あやふやな「常識」に浸っている時間が短い分、大人よりむしろ効果的に論理思考を使えています。その結果、大人より柔軟かつ的を得たやり方や解決策を見出していることが非常に多いのです。それを損ねているのが、上述したような不安や自信の無さです。そこで指導者が、演奏の指導を仮にしなくても、不安に共感し、話を聞いてあげて苦しみを和らげてあるだけでも、高校生はストレスが解消できて自分の見出しているやり方をやってみる勇気を感じやすくなります。

【演奏の結果より自分自身を大事にさせる】

辛いこと、大変なこと、圧倒されてしまってどうしたらいいかわからなくなるようなこと。

人生は度々そういうことがやってきます。

そういうキツイ状況のなかで、わたしたちが諦めずに努力を続けたり、どこかで希望を失わずにいられるのはなぜでしょうか?

それは、どれだけうまくいかなくても、あるいは人になかなか評価されなかったり、ひどいことを言われたとしても、

「それでも自分はこれをやるんだ」

というところがはっきりしているからだと思うのです。

それは、それぐらい

・それをするのが好き
・それをするのが自分にとって大切

ということです。

これは、

・結果
・評価
・現時点での向き不向き

といった基準とは全く異なるものです。

つまり、演奏がうまくいったかどうかではなく、自分が演奏をやりたいかどうかで動いている のです。

これは、自分の価値が演奏の結果で計られていれば起き得ないことです。

そう考えると、逆境下でも努力を続け前進する強さは、 自分がやりたいことをやる選択がとれるひと=自分という存在を大切に感じられているひと にこそ備わっているのではないでしょうか。

指導者としては、この強さをこそ育んであげたいものです。

それに最も効くのが

・生徒の能力や可能性を、指導者自身が徹頭徹尾、信頼している

→ 生徒自身が自らを疑ってしまうことはあっても、そのときに指導者という第三者が自分のことを信頼してくれていることが感じられると、それは生徒にとって大きな自信となります。

・指導者が、生徒の演奏の結果より、生徒の幸福度を大切にしている

→ もし仮に、ある生徒が一生懸命練習をして、その結果腱鞘炎になったとしましょう。そのとき、指導者であるあなたは、そこまで自分の健康を犠牲にしてまで練習を強行した生徒を「叱る」必要があるのです。もしここで、少しでも「一生懸命頑張ってきたこと」を褒めてしまうと、指導者として健康や幸福を犠牲にすることをよしとしていることが生徒に伝わってしまいます。それはなりません。逆になかなかうまくならない時期があったとしても、もし生徒が演奏を楽しんでいれば、そのことを褒めましょう。そうづることで、上手/下手、ミスの有無といったことより音楽そのものを大切にし、愛し楽しむことができる方向へと生徒を後押ししていることになるのです。

・指導者であるあなた自身がその原理を生きる

→ 学習の驚くべきほど多くが、わたしたちが直接コントロールできないようなところでひとりでに起きています。強力な学習メカニズムである模倣は身体の動き、状況に対する反応の仕方、人間関係の作り方、価値観のいずれにおいても起きています。高校生の彼ら/彼女らは、指導者であるわたしたちを徹底的に模倣しています。もし指導者であるわたしたちが、自分自身を痛めつけるような生き方をしていれば、生徒はそれすらも学んでしまいます。どう生徒にあってほしいかという願いは、まずはじめに、そしていつも指導者である自分自身が内面化し、実践し、生きることを心がけましょう。

以上三つです。

あなたの指導者としての行き詰まりの突破口になれば、嬉しく思います。

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高校生管楽器プレイヤーの指導法」への2件のフィードバック

  1. バジルさんこんにちは。

    わたしはチェロを弾いています。
    アマチュアながらも
    わたしにはこれしかないなと最近
    カチッと心に落とし込まれたこととこの記事が
    シンクロしたのでコメントさせていただきました。

    「幸福感」ということばが
    胸にのこりました。

    相対的ではなく
    絶対的な価値観で
    やりたいと思ったことをして生きる。
    ここに幸福感がありますね。

    どうしてだか信頼できるあの安心感と
    たのしくてわくわくする幸福感
    自分を絶対的に愛することから始まると思います。

    自分を信頼するということを心の奥まで腑に落とす
    アレクサンダーテクニークという
    肉体からのアプローチは本当すばらしいなと思います。

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